今でもはっきり覚えているのは、小学生時代のことです。それは、平成23年でした。インターネットで「滬江ネットスクール」の広告を見ました。私はその前からずっと『ドラえもん』と『名探偵コナン』がすきだったので、「参加してみようか…」と思ってクリックしました。料金はたったの20元で、授業は毎週の月水金でした。そして、一ヶ月経つ頃には、五十音が暗記できました。それでさらにもう一歩を踏み出すつもりで、『新版中日交流標準日本語・初級』を買いましたが、結局、中途半端な所であきらめました。その時はまだ日本語を話せるようになりたいという夢をもう一度抱くとは思っていませんでした。

五十音を勉強して、間もなく小学校を卒業しました。卒業の直前に、テーブルを伝言板に見立て、日本語を勉強することは親日派になるのか名前も知らないクラスメイトと口論になりました。今思えば、その時から、人格形成の中で「民族主義」の性格がだんだん弱くなり始めたのではないかと思います。そして、この事件も、その後、私が国家、民族、政治制度を研究するきっかけとなりました。

中学二年生の時、毎週金曜日の夜、私は週末の宿題を終わらせるために夜更かしをすることにしていました。その夜更かしのおかげで、翌日の午後、ネットスクールで『みんなの日本語1』や『新標日』(初級下・第22課まで)を学ぶことができました。日曜日には学校の補習があるので、土曜日の時間がとても大切になりました。しかし、中学三年生になって、受験勉強がとても忙しくなったので、日本語の勉強もとうとう続けられなくなりました。

高校三年の時、日本語を勉強すれば大学時代が余裕をもって過ごせるだろうと思って、日本語学科を受験することに決めました。英語力には自信があったので、英語の授業中にもこっそり日本語を勉強していました。冬休みと夏休みで『新編日語』の2~4冊を終わらせることができました。そうして、大学日本語学科に無事合格することができました。ちなみに、去年の12月に受けたCET4(大学英語4級)の点数は657点(満点は710点)でした。

これまでの自分の断続的な日本語の勉強歴を思い出すと感無量です。大学に入学するまで、身の周りには日本語を勉強する人がほとんどいませんでした。もしかすると孤独のままでいたくないという思いが今の専門を選ばせたのかもしれませんが、初めて日本語の先生に面と向かって質問した時にはものすごく感動しました。

後書き

鄙人才疏学浅,这篇文章承蒙大学基础日语课的老师和日语写作课的老师(外教)斧正,并感谢推特上日本朋友的热心建议。